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評価するのは誰…

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 気がついたら、あっという間に前期の各授業も終了です。あとは、レポート読みと成績つけです。僕にとっての苦行は、なんと言っても成績つけです。一番難儀なことは、減点式に評価を決めることです。なので、僕は原則、加算式で評価を決めるようにしてます。簡単に言えば、できるようになったというか、新しく学びとってくれたことをきちんと評価するという視点です。あれもこれもできるようになったということで、ともかく、学習者自身がアピールというか表現できる機会を多く作り、達成できたことを積極的に評価するようにしています。

 確かに、評価では客観的な部分も必要かとは思いますが、基本はやはり自己評価だと思います。例えば、数学のいわゆる成績がよい人に、「あなたは何を学びましたか?」と尋ねたら、「2次方程式を解けるようになりました。」とか、「解の公式を覚えました。」などと答えるかもしれません。技術や知識を覚えることは、学んだことの一部かもしれませんが全部ではありませんし、ましてや、最も重要な点というわけでもありません。それも、誰かに与えられたものを暗記したとかというのだけでは、本来の学びとは言えないでしょう。こんな回答はあり得そうにはありませんが、理想としたら、「二次方程式の解き方の学習を通じて、こうした考えを引き出し、必要とした数学者たちの考え方を共有することができ、数学を学習することが、人々の暮らしにおける生きることの意味に繋がっているのを学ぶことができました。」。まぁ、あまりにも理想的過ぎますが…、こうした指摘には、学習する側だけではなく、教える側の問題、すなわち、数学を通じて何を教えるのかという、教える側の意識の問題も関係していることに気づかれたと思います。で、今回は評価の話なので、話を元に戻して、学びの本質は、いかに学習者自身が、十分に(イキイキと)学んだなという意識が持てたかにかかっています。
 となれば、学んだことに対する評価の中心は自己評価であることが自然です。ある条件を満たしたような1つの集団における相対的な評価は、その集団におけるある要素を中心とした位置であるとか、教える者の力量の差異を前提とする結果は、あくまでも参考的なものであって、学習者にとっての真の評価とはなり得ません。

 そこで最近の僕の授業では、授業の最終日に自己到達度テストを実施しています。テストという名称をつけるのは嫌なのですが、振り返りという意味も込め、とりあえずテストという名称をつけてはいます。内容は、今回の授業を通じて学習者自身が学びとったと思われることを様々な角度から再認識してもらうことと、全体として自身の学び度合いに評価(便宜上10段階評価)をつけてもらい、その理由も記載してもらうというものです。このテストの詳細はなかなか興味深いものになるのですが、紙面の関係上、1つだけ特徴を紹介しますと、僕とかがいい学びをしたな~、と思う学習者ほど、自己評価、例えば10段階評価の点が低く厳しい評価を自身に下すということです。この傾向は、なかなか興味深いでしょ…。なぜ、そうなるのか、僕なりの分析を書きだすと長くなるので、言えることを1つだけ、学ぶことの意味を理解している人ほど自己評価は厳しくなると言うことです。逆に言えば、まじめに勉強している人ほど、従来の評価基準が意識に染みこんでいるがゆえに、点数とかに出ない真の学びに興味を抱いたことを正当に評価できないということです。

 本来、生きることに直結している学びとは、充実し楽しいものであるはずなのに、点数などによる評価対象からはずされ続けてきた結果、本来の学びを自身で評価できなくなってきている…。ここにも日本の教育の課題とか問題が(自己決定権、主権等)潜んでいると思われるのですが、愚痴が過ぎるとよくないので、今日はここらへんまで…。では、また。

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