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沖縄スタディツアー・メモ書き

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 友人が主催をしている夏の沖縄スタディツアーに、無理を言って潜り込ませて頂きました。とてもよく練られたスタディツアーで、相当にいろいろなことを触発させられました。触発され考えたことの一部ですが、忘れないようにするためにメモ書きを残しておくことにします。

〈スタディツアーで考えたことの仮説的メモ〉

「記憶を伝えていくことの意味について」
[沖縄の人々の場合]
 暮らし(生活)というアクチュアルな場において、沖縄戦体験者と非体験者が世代などを越えて対話をすると、その対話は自ずとディアローグ的な対話となる。結果として、そうした行為によって引き出される気づきは、コモンセンス(絶対的な他者)としての「生命(イノチ)」の存在を共通に認識させることになる。

[非戦争体験者による平和ガイド的な実践(運動)]
〈教える-学ぶ〉ことの実践者(運動者)である非戦争体験者による平和ガイド的な試みは、当事者ならびに聴衆(学習者)と非対称的な関係(立場の相互交換性も含め)であるがゆえに、その対話は、ディアローグ的な対話にならざるを得ない。運動としてのディアローグ的対話の積み重ねは、コモンセンス(絶対的な他者)としての「生命(イノチ)」の存在の気づきに繋がる。

[ガマにおける共同性の意味についての試考]
 ある意味で、確立された共同体(社会)であればあるほど、共同体内で行われる対話はモノローグ的なものが中心となる。モノローグ的対話が中心である共同体(社会)は、内省主義的な傾向を強め、いつしか自己の存在証人(承認)としての絶対的他者(ヘーゲル的)を必要とするようになる。代表的な絶対的他者とは、「神」のことであろう(国家の統合システムと調和的)。例えば、ヨーロッパ社会の場合は、その神がキリストと重なるのは言うまでもない。一方で、欧米化を強く押し進めた日本の場合、その神は、戦前であれば「天皇」であったであろうし、戦後であれば多分に偽装的ではあるが「貨幣」となるであろう。

 強力な共同体性を確立した集団が(おそらく沖縄だけでないと思われるが)、沖縄戦下におけるガマのような閉ざされた空間に押し込められた場合、そこでの対話はモノローグ的なものが中心となるであろうことは想像に難くない。モノローグ的な対話を積み重ねる集団であるいじょう、結果として、その集団は絶対的他者としての神の存在を必要とすることになる。こうした状況が本土の集団であったとしたら、日本的伝統やら日本的近代教育の成果によって、多分に規律化されていることから、その神は自然の流れとして「天皇」となったに違いない。確かに、琉球処分以降の日本への統合政策や、日本国民への同化教育などによって、既に相当の規律化が進んだ戦中の沖縄であったと思われるが、ガマの中において、最終的に必要とされた絶対的他者は、本土人にとっての神である「天皇」ではなかったのではないのか。彼ら沖縄の民衆にとっての絶対的他者に相当したであろう神的な存在とは、何であったのか。彼らの本来的な神であったはずのティダの神という名からも連想されるような絶対的他者の存在とは、やはり、その象徴である太陽の力によってスデルものである生命一般(イノチ)だったのではないのだろうか。しかし、実際には、「イノチ」が一番大事なものであると気づき、行動として実践した集団としなかった集団がいたことも事実であるだけに、結果としての絶対的他者が「イノチ」ではなく、「死」となってしまった違いはどこにあったのか、もう少し丁寧に考える必要もあるだろう。

 しかしながら、ここでたいへん興味深いことは、ディアローグ的な対話を積み重ねることで気づくはずのコモンセンスとしての「生命(イノチ)」の存在を、沖縄の人々は、モノローグ的な対話を強いられた結果としても気づいた点だ。それは、おそらく社会の前提が違うということであろう。したがって、沖縄の人々と本土の人々との対話は、本来はディアローグにならざるを得ない。そうだとすると、もう1つの仮説として、沖縄が日本に組み込まれようとした段階から、否応なしに、ディアローグ的な対話は始まり、今も続いているのかもしれない(運動)。

 もう1つの視点として、ガマの中でモノローグ的対話に終始した結果、絶対的他者の存在としての「死」を覚悟した集団と、何らかの契機によって、ディアローグ的な対話をしたことによって、自分たちにとってのコモンセンスを思い出した集団がいたのかもしれない。となると、どちらにしても価値観の転機となったのは、どういった形であったのかは明確には言えないが、やはり、ディアローグ的な対話だったのかもしれない。どちらにしても、そこらへんのことは、もっと丁寧に検証する必要があるだろう。

 戦後の本土、日本は、モノクローグ的対話(経済発展第一主義的政策と一致)が中心の社会であった。ゆえに、彼らにとっての絶対的他者は「貨幣」となったのだが、そうした価値観を変換させるには、運動としてのディアローグ的対話の継続が必要であることは、とてもよく分かる。現在、今までモノローグ的な対話が中心であった日本社会において、若者たちを中心としてディアローグ的な対話を主張する運動が広がってきている。〈教える-学ぶ〉行為を内包したこうした運動は、絶対的な他者としての「生命(イノチ)」の存在の重要性を、コモンセンスとして再び人々に気づかせるものとなるだろう。
 こうしたディアローグ的な対話を中心とした社会の変革運動の先駆として、沖縄での平和運動がある。

[原動力としての暴力の問題]
 「イジメ」問題等、日本の社会構造の問題、ベンヤミン『暴力批判論』を参照。

 他にも、いろいろなことを想起しました。今回のようなスタディツアーこそ、ディアローグ的な対話を中心とする、まさに、「学び」の実践運動のただ中だということを再確認させてもらいました。よい時間を作っていただいたことを、こころから感謝します。自分のフィールドワークも早めに準備をし、来年もちゃんとやろうと思った次第です。

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