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寝苦しい夜

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残暑お見舞い申し上げます。
ほんとうに暑い日が続きますね。
唯一の暑さ対策と言いますか、ガリガリ君を食べ、
どうにかこの夏を乗り切っています。
ただでさえ暑いのに、世の中はさらに沸騰させるようなこと多く、
まさにメルトダウン寸前な日々です。

さて、なかでも、このところ続けてつぶやいたりしていますが、
政府の支離滅裂な施策方向には、戸惑いといいますか、
怒りといいますか、あきれといいますか、一体全体どうなんってだ、
という思いが募ります。

言い出したら切りがないのですが、例えば、デフレ対策と言いながら、
一方では、消費税を上げると言ったり、TPPに参加すると言ったり…。
また、福島第一の事故処理や核廃棄物の処理もままならないのに、
原発を輸出すると言ったり。
国内に外国の軍隊の駐留を許しているからこそ、
国家の安全保障が揺らいでいるのに、軍事同盟強化だと言ったり。
なぜ、こうした真逆な施策を声高に主張することができるのでしょうか?
このような真逆な政策を推し進めていくことは、日本という国を、
発展させるというのではなく、むしろ、破綻させるもののように見えます。

そうであってほしくはありませんが、国を破綻・破滅する方向に、
舵をとっているのだとしたら、そんなことがあり得るのか、少し考えてみたいと思います。
この点を考えるにあたり、前提として押さえておく必要のある要素があります。
それは、特に戦後の日本において、地位協定をはじめとする超法規的なものによって、
日本の国家のあり様を規定し続けているアメリカという国の存在です。
こうした不平等的な法規を見ると、戦後の日本は残念ながら、
アメリカという国によって作られた枠組みによる、
利益収奪を目的とした間接統治的な場となっているように見えます。
つまり、戦後の日本という国を考えるとき、忘れてはいけないことは、
このような二重構造と言いますか、2つのアイデンティティの中を、
日本の人々は生きてきたということ忘れてはいけないわけです。

こんな二重化された世界を生きていくとき、特に後から注入された価値観において、
それが圧倒的な物質力にものを言わせ、例えば、経済性を保証し、
ある意味で豊かな生活などを実現してくれた場合などは、
固有としてのアイデンティティは、伏蔵化され健忘される。
言い換えれば、目の前にあるしあわせを選択することによって多くの人々は、
二重化された世界の中で、どうにかバランスを取り、自己の存在を同一化する。
しかし、この固有というか本性的なアイデンティティは決して無くなったわけではない。

さて、こうした同一化の作業が、結果として、自身の生命を守る。
ということの保証となっているうちはいいが、
生命を守ることの担保とはならなくなったときは、
どのようなことが起きるのだろうか?
少し視点を変えて言い換えると、二重化された世界に曝され続けると、
同一化が困難な人々(状況に耐えきれなくなる人々)が必ず発生し、
そうした人々における自身の存在を守るための矛先は、自身の存在を抹殺する、
もしくは、自身を囲む世界を破壊することによって、同一化を果たす方向に向かう。

こうした破綻・破滅型の解決を選択する人に共通してあることは、
1つは、生命一般が持つ大切さに気がつかなくなっていることと、
もう1つは、「対話」(価値観が違う者同士が話し合うこと)ができなくなっていること…。

とここまで書いていて気づいた、そんなことになっているリーダーがいた。
んーっ、彼にとっての同一化への欲望なのか…。
とすれば、そこには他者の意志が介入する余地はなく、
同一化を達成するためだけの独我的なものでしかない。
当然、「対話」がないのだから、より独善的なものになる。
となると、他者の目から見たら破綻・破滅的なことも、彼の目から見たら、
同一化を達成するための、合理的な手段の1つでしかない。
さらに、よくない傾向は、そんな二重化の世界に曝され続けてきたのは、
彼だけではないということで、同様の感覚を持つ人々が複数存在するはずだということ。
そうした人々は、こうした手法が破綻・破滅ではなく、自身における救済であると、
同調(錯覚)してまう、それも、独我的な意識と重なって…。

手強い…。
とにかく、真の「対話」の機会と場を作っていくしかない。
2013年夏、猛暑をエネルギーに代えて…。
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