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発展ループ

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 以前から、近現代に入ってからいわゆる近代資本主義国で、〈バブル→恐慌→戦争〉という見せかけの資本主義的経済発展のループから、抜け出した国は、未だかつてないと話してきました。

 見せかけとは言え、現代の日本が、戦争以外の方法で再度発展基調に回復できたとしたら、それは人類史上初の出来事で、凄いことだと言いましたが…。再度の発展基調に日本を乗せるべくポイントは、言わずと知れた成長戦略で、それも、他の国々がまだ気づいていないような知識や技術を駆使し、新しい分野、すなわち新市場を開拓できるかにかかっていたわけです。
 結果として、新しい政権ができ2年近く経ちましたが、第3の矢と称された成長戦略はその姿すら現さずです。まぁ、冷静に考えれば当然と言えば当然で、世界の先駆けとなどと考えると、そこには、独創的で先見性がある視点や実行力が必要となるわけですが、そうした力や環境を引き出し作る努力をしてきていない我が国が、2年やそこらで、変身できるはずがありませんでした。

 すると、やはり、近代資本主義というシステムが持つ、自動ループへとはまっていくことになるのでしょうか…? おそらく、法的暴力には法的暴力で対抗するしかないのと同様に、もし、資本主義というシステムにおける偽発展ループを阻止するには、憲法9条のような法によって、そのリピートを拒むしかないでしょう。

 さて、現政権は、意図的なのか、それとも無策ゆえなのか、そこは分かりませんが、いわゆる近現代資本主義システムにおける正統的な発展手段である「戦争」、正確に言えば、戦争ができる国になるための準備を着々と進めているように見えます。その準備の流れでうまいと思うのは、自らが主体となって戦争を引き起こすのは、いろいろな意味で難しいことを承知しているせいか、他国などの大義に乗り、支援というか、援助というか不義理は働けないので、ふつうの国としては、当然、援護のために荷担するというような雰囲気を作っている点です。一般的な言い方とすれば、兄弟や親友のために一肌脱ぐのは当たり前という感じです。

 新しい発展のために戦争に特化していく、一番簡単な方法であると同時に、そうした流れが前提のシステムなのかもしれません。したがって、秘密保護法・日本版NSC・集団的自衛権、武器輸出三原則撤回など、ある意味では、政府にとっては選択の余地のない既定路線なのかもしれません。

 それにしても、特に日本の人々は、戦争をするとその結果、どのようなことが起きるのか、今もってしても思い知らされているのに、そうした負のスパイラルの存在に対して、どうして鈍感なのでしょうか? 戦争にかぎらずですが、事故なども含め、様々な教訓や経験がなかなか活かされない…。

 貨幣優先であるこの巨大な自動引き戻しシステムの中にあって、そのシステムが自動的に作り出すループに、再び引きづり込まれないようにするために、私たちはどうすればよいのか…。この巧妙な巨大システムは、それが自動的に稼働している証拠として、私たちをドンドンと生き辛くさせているわけなのですが、そうした事実に対して、多くの人が人間としての健全な反応によって抗っているのに、そのような健全な抵抗に対しても、自己責任論などをかざし、本人の努力不足であると個人の問題へとすり替え、リセットへの最終局面へと繋がる個体化を強力に推し進めています。

 大きく強い流れの中で翻弄されながらも、自分に何ができるのか…。いろいろと考える日々です。

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